そろそろ東京での4年間を振り返ってみようと思う

僕は今26歳です。
高専卒なので21歳から働いていて、2012年の1月より転職で東京に移りました。
それから4年間東京で働き、2016年の1月、東京に行ってちょうど4年後に名古屋に戻ってきました。

急に振り返り記事を書き始めたのもきっかけがあります。
好きでずっとツイートを見てる方が、

失敗したあとにやり直すチケットが手に入るのは、関係者に仁義を通したものだけ。
敗者は自ら居場所を離れ、実家に帰ったり、誰も自分を知らない場所で学びのない失敗を繰り返すだけ

といった旨のツイートをされていました。(コピペじゃないので省略したりしてます。こちらからご迷惑をおかけしたくないので特にリンク貼ったりはしないです)

これ、まんま俺じゃねぇかと思ったのもありますし、ちょうど名古屋に帰省後半年が経ったのでそろそろ自分の中で区切りをつける意味もこめて、このブログを書いています。

2012年1月、先日債務整理が発表されたSnapeeeを運営するマインドパレット社に転職しました。
そこで2年間エンジニアとしてサービスの運営に携わり、2014年4月より個人事業主として活動を開始しました。
その間、焼肉部を運営する部活動社をはじめ、いくつかの会社、サービスに携わりました。
そして2015年4月に会社の創業に携わり、その会社を2015年12月に離れ、2016年1月より名古屋でフリーランスのエンジニアとして活動しています。

この4年間かなり多くの人にご迷惑をおかけしましたし、直接お礼もお詫びも言えていない方が大勢います。
全く仁義通せてないですよね。
会社を離れるにしろ、サービスを離れるにしろ、場を離れる際には果たさなければならない責任があります。
後任に引き継ぎをする、共有資料を作る、などの”エンジニアとしての責任”はギリギリ果たせているのかなと。
サービスを離れて1年以上経ちますが技術的な問い合わせに応じているサービスもあります。
ただ、ひとりの人間としての責任が取りきれておらず、思い出す度に苦しいような悔しいような、そんな思いに駆られます。

特に、東京での最後のキャリアとなった共同創業した会社に至っては、創業者に気を遣ってもらい、
「メンバーや投資家にはこちらから話しておくから外に話すのはもう少し待っててほしい」という言葉に甘えてしまい、周りには何も告げず抜けてきてしまいました。
周りにはどのように伝わっているのかわからないので下手なことは言えませんが、今でもやはり会社、サービスともに成功して欲しいのでちょこちょこ見ています。アプリを見る度に僕では作り出せなかった世界が広がっていて、本当に素敵だなと思っています。

この4年間で色々なことを経験しました。
アプリも作れるようになったおかげで仕事させてもらってます。
ただこの4年間でできなかった、仁義を通す、逃げ腰にならないということは今後も大きな課題として取り組んでいかなくてはなりません。

学びのない失敗を繰り返している場合じゃないのです。

今後、フリーランスを続けるのか、会社にジョインするのか、自分でサービスを運営するのかは決めておりません。
ただどの道を選ぶにしろ、この果たせなかったものたちを背負っていきます。
目の前の問題を直視して対処するという今まで甘えてできなかったことをやるだけです。